赤点だらけの落ちこぼれが高校教師に。15年の現場で気づいた「勉強が苦手な子」の本当の伸ばし方

現場で出会った「トラブル」を抱える生徒たち

15年の教員生活の中で、実に多くの生徒たちと出会いました。私の勤めていた学校はそれなりに偏差値の高い高校だったこともあり、大きなトラブルを起こすような生徒は非常に少なかったです。

しかし、細かなトラブルは1年中起こっている状態でした。タバコやカンニング、万引きや暴力など、処罰になる生徒は毎年のように出てきました。

担任をしていて最も神経をつかうのが、不登校の生徒と保護者の対応です。カウンセラーなど保健室と連携をとりながら進めていきますが、担任をしてから一度も顔を見ることなく他校へ転校していった生徒もいました。

そして担任をしていた私にとって、極めて大きな出来事は、学外でトラブルを起こした生徒が鑑別所に入ったことでした。

保護者と弁護士が学校に訪れて来て、事情を聞いたときの驚きは今でも覚えています。すぐに裁判所の担当官に連絡をして、何とかならないか相談しました。

一度必ず本人と面会してください、ということだったので、鑑別所に行って面会をしました。生徒が過ごしている鑑別所は、テレビドラマで見るような場所とは程遠い雰囲気のところでした。

受付で必要書類に名前などを記入し、面会の準備が進むのを待ちます。そして私の名前が呼ばれ、いよいよ面会です。しかし面会室には最低限のものしか持ち込めません。受付でカバンや所持品をカゴに入れて預けるのです。

案内役の刑務官の後ろに付いて移動するのですが、廊下に入るのに鍵、廊下を出たら鍵、次の廊下に進むのにまた鍵、廊下を出たら鍵・・・

いったいどれだけの鍵の開け閉めをしたでしょうか。途中に監視官も立っているので、軽く挨拶して通り過ぎます。「アイツはとんでもない所にいるな・・・」これが私の正直な感想でした。そしてやっと、奥深くにある面会室に辿り着きました。

「こんな所にいてはダメだ。早く戻ってこい。」このような言葉を伝えた時、ホッとした生徒の様子を見て、私も嬉しくなりました。

その後、クラスに戻ってきたその生徒は、真面目に学校生活を送り、無事に大学への進学も決まり卒業したのでした。これは私が高校3年生の担任をした時の思い出話です。

私たち大人が仕事や家庭のことなどでストレスを溜めるのと同じように、子供たちも大きなストレスを溜めています。時にはストレスの発散方法が、間違った形で表現されることもあるのです。

生徒を切り捨てること、すなわち退学させることは簡単です。しかしそれは最後の手段でよいのではないか、と私は考えています。

勉強が嫌いで、赤点ばかりだった子供時代

私は小学生の時から勉強が大嫌いでした。授業中は先生に怒られないように、先生の話に集中している「ふり」をし、一所懸命に勉強をしている「ふり」をしていました。

今思うと、当時の先生たちはそんな自分をとっくに見抜いていたのだと思います。

学校は大好きでしたが、勉強は大嫌い。そして何より、テスト勉強は、この世で一番嫌いなものでした。テストなんて無くなればイイのに・・・テスト前はこんなことばかり考えていた少年でした。

このような子どもだったので、テストの点は悪くて追試ばかりで、成績は赤点が必ずある状態でした。白黒の通知表が羨ましい、と何度も思ったものです。

これからいよいよ嬉しい夏休みだ!という1学期の終わりに、夏休みに補習を受けるように、というプリントを受け取った時はショックでした。中学1年生の時です。

補習の初日に指定された教室に行くと、すでに数人が座っていました。私の後に次々と仲間が入って来ました。勉強ができないクラスの代表が集まった、すごい強烈なメンバーだったと思います。そんな中に私がいることに、再びショックを受けたのを覚えています。

そしてショックなことはまだまだ続きます。夏休みは地獄の補習だけでなく、特別な課題まで出されました。勉強ができない生徒に勉強させてどうする?という悔しい思いをしたのが、高校1年の夏休みです。

この頃になると、成績で赤点が付くのがイヤで、担当の先生に自ら課題を求めたこともありました。

そしてとうとう、言われてもいないレポートなどの課題を自ら作り、担当の先生に「見てください!」とお願いする行動に出たのでした。

高校の3年間はこのような生徒だったので、先生たちには本当にお世話になりました。イヤ、高校だけでなく、小学生からの12年間は、学校の先生たちのおかげで今の私があると思っています。

私の親はと言うと、父親は教育に全くの無関心で、母親は逆で教育熱心でした。しかし母親から「勉強しなさい」と厳しく言われた記憶はまったくありません。

私が小さい時から「この子は勉強ができない」と見抜いていたようで、勉強以外のことを自由にやらせてくれました。しかし、母親は私のことを、他の誰よりも心配していたに違いありません。

勉強がダメでどうしようもない子供でしたが、両親が温かく見守ってくれたおかげで、高校卒業までなんと歩むことができました。

机に向かって勉強する少年のイラスト

奇跡的に教師になれたけれど、待っていたのはコンプレックスでした

具体的な時期はよく覚えていませんが、たぶん中学生の時だったと思います。将来は学校の先生になりたいな~という漠然とした夢を持つようになりました。

しかし学校の先生になるためには大学に行かなければなりません。大学に進まないと教員免許が取れないからです。私にとって、人生で最大の壁、が立ちはだかったのでした。

高校生になっても赤点がなくなることは滅多になかった私にとって、大学受験は極めて大きなストレスでした。

奇跡的に大学に進学しましたが、名のある大学ではありません。しかし、当時の私ができる最大のことをやり、最高の大学に進んだ、と言ってよいと思います。

あの時に、勉強が大嫌いだったのに、なんとか頑張れた理由はただ一つ、「自分には浪人生活なんか絶対にできない!」これしかありません。

大学生になっても勉強が苦手であることはまったく変わらず、追試の常連でした。

しかし、多くの友人や同級生たちが成績や単位が足りずに、留年や退学していくのを見て、危機感を覚えたのでした。だから勉強に対する考え方などが、この時に変化したと思います。

私の夢である学校の先生になること、この夢を現実にするためには、留年なんてしていられません。学校の先生になるために、大嫌いな試験勉強を必死にやった、そんな大学の4年間だったと思います。

なんとか教職課程の単位も全て取り、卒業と同時に教員免許を手に入れました。そしてまた奇跡が起こり、高等学校に就職することができたのです。

しかし、学校に就職してみてビックリしました。先輩の先生たちは一流大学の出身ばかりでした。私のような名のない大学出身の先生は一人もいません。とんでもないコンプレックスを抱えたの覚えています。

私のように勉強ができない人間は、学校の先生になってはダメなのだろうか?他の先生たちと同じように、名門大学やそこそこ名のある大学に行くべきだったのだろうか?こんな自問自答をする時もあり、落ち込むこともありました。

しかしすべてが新しいことだらけで、授業の予習も大変で、いろいろと考える余裕がないまま、時間がどんどんと過ぎて行く、就職してからの数年間はそのような感じでした。

就職が決まった新人の先生のイラスト

赤点ばかりでも「良かった」と思える時がある

進路指導部の仕事を5年ほど続けましたが、生徒への進路のアドバイスはそれほど大変ではありませんでした。

それよりも、進路関係の資料整理に時間がかかった印象の方が強いです。予備校が開催する進路説明などに出席すると、紙袋いっぱいの資料をいただくことが多々あったからです。

先生にとってあるあるだと思いますが、卒業後の進路・進学について相談にくる生徒の多くは、真面目な子です。

「進路が心配だよ、先生どうしよう~」こんな感じで相談にくる生徒は全く心配ありません。先生たちが心配してい生徒は、まったく相談に来ない一部の生徒たちです。

子供のころの私は赤点ばかりだったにも関わらず、先生に相談しに行ったことなど一度もなかったので、先生たちが実は心配してくれていたことを、先生になってみて初めて理解しました。

ある進級会議の時に、私は共通した先生たちの事実を見つけました。それは、一流大学を出た先生たちの多くが、勉強のできない生徒のことがよく分かっていない、または全く理解できていない、ということです。

何十年も生徒を見てきているベテラン先生なのに、どうして生徒のことが正しく見えていないのだろう?と思うことが度々あったのです。

私は勉強が苦手なダメな子だったので、同じように勉強ができない生徒の気持ちがイヤというほどわかりました。

それまで、私は無名大学出身でコンプレックスの塊でしたが、有名大学出身の先生にはできなくて、私にはできるものがある、ということを知り、ひそかに優越感を抱いた時もありました。

「子供のときは赤点ばかりだったけれど、良いこともある」そう思えた瞬間でした。

それと同時に「私にしかできない支え方がある」ということも確信しました。このことは、その後の教員生活において、非常に大きな自信へと繋がりました。

それ以降、勉強が苦手な子や、成績が悪くて苦しんでいる生徒、そして学校に上手に馴染めない生徒に対して、徹底して擁護する姿勢を取り続けました。

私が子供の時に、学校の先生たちが私を支えてくれたように、私もそれと同じこと、またはそれ以上のことをしよう、と思ったからです。

退職後に知った「発達障害(ADHD)」という自分の正体

子供の頃から夢だった学校の先生になれて、非常に満足した生活は過ごしていました。学校の先生の仕事はたしかに大変ですが、充実した毎日を過ごしていました。

しかし、私の心の中でもう一つの望みがありました。それは田舎でのんびり暮らすことです。私は中学生の時まで、夏休みと冬休みに、地方の親戚の家に家族で泊りに行くことが最高の楽しみでした。

自然に囲まれ、田園風景の中に溶け込んだ生活に憧れていたのです。自分もいつかこんな場所で生活がしたい、そんな思いが小さな時からあったのです。

そして15年務めた学校を退職し、地方の田舎に引っ越したのです。学校に不満があった訳でもなく、問題を起こした訳でもありません。変な言い方ですが、辞める理由など何もない感じでした。

もしかしたら、毎日、満員電車に1時間以上も揉まれて通勤していたので、都会の暮らしに疲れてしまったことが理由のひとつかもしれません。

また、カッコイイ言い方をすれば、15年間全力疾走して疲れてしまったのかもしれません。なので、退職直後に地方に引っ越しした時は、初めて体感する、なんとも言えない大きな解放感を味わいました。

しかし、自分のわがままで地方に移住し、希望通りの新たな生活をはじめましたが、大きな問題がありました。それはお金です。インターネットを利用したビジネスを考えていましたが、イメージ通りにはいきませんでした。

地方へ移住後しばらくして、インターネットで調べ物をしているある時に、自分が発達障害であることに気づいたのでした。最初は「もしかして」という感じでしたが、調べれば調べるほど、それが事実であると確信したのです。

私の場合は自閉症の入ったADHDの状態であることが自覚できました。自分が発達障害であることに気づいた時、私は何故か納得しました。だから私はいろいろとスムーズに行かなかったのか、と。

そして学校の仕事を途中で辞めてしまったことも、イヤなことから逃げてしまう自分の悪い癖のひとつである、と理解することができました。

発達障害を心を開いて受け入れたことで、心の中でモヤモヤしていたものが、少しずつですが綺麗に整理されていった感じがします。

将来を見つめる少年と少女のイラスト

このサイトを通じてお父さんやお母さんに伝えたいこと

私がお父さんやお母さんたち伝えたいことは3つあります。

子供を信頼してあげましょう

勉強が苦手だったり、学校に馴染めない、スムーズな学校生活が送れない、そんな悩みを抱えている子供たちは、自分を責めています。私が子供の時にそうでした。

「これ以上、親に心配させてはいけない」こんなことを考えている子供たちはたくさんいるのです。しかし、心の呟きや叫びを表現することがなかなかできないまま苦しんでいます。お父さんやお母さんはそのことを理解してあげましょう。

また、「大好きなお父さんやお母さんを苦しめたくない」という親に対する子供なりの「心」があることも忘れてはいけません。このことをしっかりと受け止めることが、子供を信頼することに繋がります。

高校受験や大学の進路よりも、もっと大切なものがあるはずです。子供を信頼することで、今まで見えなかったことが見えるようになることもあるのです。

時には諦めることも考えましょう

子供には一人一人に「適正」があります。この適性を無視して突き進むと、やがて本人は疲れ果ててしまいます。すでに疲れ果てている子供たちが多くいると思います。

それぞれの状況によって対応が異なりますが、今の環境やその他すべてを諦めて、別の方向へ進むことも視野に入れることが必要な場合もあります。

その決断は、できるだけ早い方がよいです。なぜなら、中学も高校も「3年間」という限られた時間しかないからです。できるだけスムーズな学歴を考えるのであれば、この3年という時間的な数字は無視できません。

そして高校受験に関しては、選ぶ必要がない場合もある、ということを考えておくことも大切です。

どのような生徒も受け入れてくれる高校は日本の各地にあります。ただし自宅から通学できるかどうかなど、その他の条件があるかもしれません。

また高校卒業後に関しては、大学に行かなくてもよい場合もある、という考え方も大切です。大学に進むことが、必ずしも本人の適正であるとは限らないからです。

しかし、大学を諦めて働く、という決断は最後の最後でよい、と私は考えています。

私が子供のときと異なり、今はさまざまなサポータ体制が準備されているからです。例えば、オンラインの学習指導や家庭教師のシステムなどです。

これら各種のプログラムを実際に経験してみることで、意外と子供との相性がよい場合もあります。

しかし子供に合わない場合は、すぐに諦めることが大切です。そのまま消極的に続けても、良い結果は得られないからです。

経済的に無理をしなでください

そして3つ目にお父さんやお母さんたちに伝えたいことは、経済的に決して無理をしないで欲しい、ということです。

子供の学習プログラムはいろいろとお金がかかります。経済的に厳しい状態にもかかわらず、子供の不確定な将来のために、無理をしてお金を使う必要はありません。

経済的に不安がある状態では、お父さんやお母さんがストレスになります。このストレスは子どもにも自然と伝わります。

子どもが気持ちよく勉強に取り組むためには、お父さんやお母さんがストレスなく普段から過ごすことが大切です。

例えば、子供の学習費用のために、お父さんやお母さんが副業を始める・・・、このようなことはまったく良いことではありませんので、私は賛成しません。

そんなことよりも、子どもが何か相談や、学校のことなどの話題を持ち出してきたときに、気持ち良く笑顔で話を聞いてあげることの方が、10倍大切です。

経済的に可能な範囲で対応する、ということを心がけてください。

最後に、安心してください

最後にお伝えしたいことは、こうしてインターネットで調べて、子供のことを真剣に考えているお父さんやお母さんは、必ず解決の糸口が見つかります。だから安心してください。

子供が勉強のこと、進学のことで困っているのに、相談相手にもならず、ネットで調べることもなく、自分の好きなことばかりしている・・・このような親は沢山います。

しかし、このページを読んでくれているお父さんやお母さんたちは、この親とは明らかに違います。本気で子どものことを考えています。なので安心してください。

私の説明や解説が不十分なこともあると思いますが、このサイトがお父さんやお母さんたちのお役に立てれば幸いです。